SNSでシェアする

新型コロナウイルスの感染拡大局面において、私たちの社会は「全体主義」的な空気に覆われました。

自粛警察やマスクの相互監視など、違和感を覚えつつも「空気」に流されてしまったと密かに感じおられる方も多いのではないでしょうか?

この度、そもそも「コロナ全体主義」は本当にあったのか。あったとすれば、それはどのようなものであったのかについて、P.F. ドラッカーの政治社会思想・全体主義論を引きつつ論じました。

下の「論文ダウンロード」ボタンからPDFをダウンロードできます。

今般のコロナ禍を正しく理解し、アフターコロナの議論を建設的なものにするために、少し難しいですがぜひご一読頂ければと存じます。

cotoLi Web Media Office代表
小松勇太

SNSでシェアする