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この記事で分かること

この記事を読むと、

  1. あなたの身近な課題に「囚人のジレンマ」という名前を付けられるようになります
  2. 「囚人のジレンマ」を普及させた学問である「ゲーム理論」に触れられます
  3. 現実のビジネス課題に「囚人のジレンマ」が実在することが牛丼の事例から分かります

囚人のジレンマは現代社会のビジネス環境における「解決が難しい課題」の至る所に潜んでいます。「協力か、裏切りか」に悩むような場面の多くは、囚人のジレンマ状況として解釈可能でしょう。

何らかの「交渉」を行う方や「意思決定」の機会がある方は、特に必見の内容となっています。

囚人のジレンマとは―警察に踊らされる2人の容疑者の話

囚人のジレンマを一言で説明すると、「それぞれの人間が自分の利得を増やそうと最善を尽くした結果、お互いの利得が減ってしまう状況」となります。

囚人のジレンマという言葉は、二者間の意思決定と利得構造に関するジレンマ構造を説明するために「犯罪で逮捕された二人の容疑者」が例として用いられたことから「ゲーム理論」という学問分野を研究する人々の間で普及しました。

これが他の分野にも広まっていき、今では心理学・社会心理学・社会学・経済学・政治学などの様々な学問で使われるようになっています。

その有名な「犯罪で逮捕された二人の容疑者」の話とは、次のようなものです。

とある重大な組織犯罪の容疑で、2人の男が警察に逮捕されました。しかし警察は十分な証拠を掴むことができておらず、容疑者に自白させたいと考えています。そこで、取調官が司法取引を持ちかけます。

「このまま、お前もお前の相棒も黙秘を続けるようであれば、それぞれ懲役1年になると我々は考えている。」

「しかし、もしお前が犯罪の全てを自白し、我々に証拠を教えてくれたら、お前を無罪にしよう。代わりに、お前の相棒が懲役5年を受けてもらう。」

「もちろん、我々は同じ司法取引をお前の相棒にも申し出ている。もしお前ではなく彼が自白したら、無罪になるのは彼で、懲役5年を受けるのはお前ということになる。」

「2人とも自白してくれた場合は、どちらを優遇するということも無い。ただ、陪審員の反応は好意的になるだろうから、2人とも懲役5年ということはないだろう。まあ、2人とも懲役3年ぐらいになるだろうな。」

この状況で、2人の容疑者がどのような選択を取るかを考えてみましょう。ここで、どちらも犯罪者なので、「相棒がどうなろうと、とにかく自分の懲役年数を最小にしたい」という利己的な2人であると仮定します。

この2人の容疑者は、それぞれが「黙秘」か「自白」かのどちらかを選ぶことができます。

2人とも「黙秘」を続ければ、警察のもくろみは失敗して、それぞれ懲役1年で済むでしょう。しかし、容疑者Aが裏切って「自白」を行い、容疑者Bは「黙秘」を続けていれば、Aは無罪でBは懲役5年になってしまいます。

こうした関係を表にまとめると、次のようになります。

B:黙秘B:自白
A:黙秘2人とも懲役1年Aは懲役5年
Bは無罪
A:自白Aは無罪
Bは懲役5年
2人とも懲役3年

この表を、後述するゲーム理論では「利得表」と言います。利得表をよく見ると、相手の選択に関わらず、常に自分は「自白」を選択した方が得になることが分かります。

例えばBが「黙秘」を続けると仮定した場合、Aとしては自分も「黙秘」を続ければ懲役1年になってしまいますが、「自白」すれば無罪になります。

対して、Bが「自白」してくると仮定しましょう。Aとしては、自分が「黙秘」していては懲役5年になってしまいますが、自分も「自白」すれば懲役3年に抑えることができます。Aは自衛のために、「自白」することになるでしょう。

というわけで、Bが「黙秘」しようが「自白」しようが、Aは常に「自白」を選んだほうが得なのです。そして、Bも全く同じように考えていますので、Bも「自白」をすることでしょう。

するとどうでしょう。AもBも利己的に振る舞った結果として、警察はAからもBからも自白を引き出すことに成功し、事件の全体像を解明して2人の容疑者に合計6年の懲役を課すことができます。AとBが協力して2人で「黙秘」を貫いていれば、合計2年の懲役で終わっていたはずですから、警察の一人勝ちというわけです。

このように、それぞれが自分の利益を最大化しようと行動したにも関わらず、結果として最大の利益を達成することができなくなってしまう状況を、「囚人のジレンマ」と呼ぶのです。

囚人のジレンマの学術的な説明―ナッシュ均衡解とパレート最適

ここで、囚人のジレンマについて学術的な背景を少し確認しておきましょう。

囚人のジレンマは、「ゲーム理論」という学問分野を研究する人々の間で普及したのが始まりでした。

もちろん、ゲーム理論はテレビゲームの攻略法を研究しているわけではありません。

人々(プレイヤー)が相手の行動の選択肢を考慮に入れながら自分の意思決定を行う状況を「ゲーム的状況」と呼びます。その善し悪しを、「戦略」や「利得」として数学的に定式化して「プレーヤーが利得を最大にするように行動するならば」どのような行動をするはずであるか、あるいはするべきであるか、を考察の対象とするのが、ゲーム理論という学問です。

参考:進化ゲーム理論とは|進化ゲーム理論研究会

ゲーム理論は、数学・コンピュータサイエンス・量子力学等、現代の科学に多大な影響を及ぼしたフォン・ノイマンとオーストリア学派の経済学者モルゲンシュテルンの1944年の共著『ゲームの理論と経済行動』(Theory of Games and Economic Behavior)が出発点となりました。

参考:21世紀を読み解くキーワード 経済を学問する最前線!!ゲーム理論|新鐘

このゲーム理論の中で論じられている典型的なゲーム的状況の1つが、囚人のジレンマです。

囚人のジレンマが「ジレンマ」になっていることを、ゲーム理論では「ナッシュ均衡解」が「パレート最適」を達成しない状態として表現できます。

「ナッシュ均衡解」とは「お互いのとる戦略がそれぞれ相手の戦略に対する最適反応戦略になっている戦略の組」のことです。ここで「最適反応」というのは、「自らの利得を最大化する」という意味です。

既に見たように、囚人のジレンマ状況に置かれた2人の容疑者は「自らの利得を最大化する」ために行動した結果、2人とも「自白」という戦略を採用することになったのでした。この「2人とも自白」が囚人のジレンマゲームのナッシュ均衡解です。

一方で、「パレート最適」とは「ある者の状態をより良くするためには、他の誰かの状態を犠牲にしなければならない状態」を指します。

参考:浜田(2016)『ナッシュ均衡とパレート効率性―花京院と青葉の文体練習 2』

これは少し説明が必要ですね。例えば、囚人のジレンマ状況で「最も望ましい状態」とは何でしょうか?

容疑者Aにとっては、「俺は自白してBは黙秘し、俺だけが無罪になる状態」でしょう。でもそれは、容疑者Bにとっては最悪の状態です。「各々にとって最も望ましい状態は異なる」というのは当たり前と言えば当たり前なのですが、このままでは話が終わってしまいます。

そこでイタリアの経済学者ヴィルフレド・パレート先生は、「誰の利得も下げずに,1 人以上の利得を高めることができるなら、その選択は全員にとって望ましいと言えるのでは?」と考えて、パレート効率性あるいはパレート最適の概念を提唱しました。

囚人のジレンマでは、「2人とも黙秘」が初期状態でした。ここからAが「自白」すれば、Aは嬉しいかもしれませんがBを犠牲にしてしまっているので、パレート最適ではありません。Bが自白しても同じです。

さらに、AもBも自白した場合、「2人とも黙秘」の状態からAもBも利得が下がっているので、これもパレート最適ではありません。

ということで、初期状態の「2人とも黙秘」はパレート最適なのです。

以上の議論から、ナッシュ均衡解である「2人とも自白」は「パレート最適ではない状態」であることが分かりました。

このように、囚人のジレンマゲームにおいては最も望ましい(パレート最適な)状態は「2人とも黙秘」であるにも関わらず、両人が合理的に行動した結果としてのゲームの解(ナッシュ均衡解)は「2人とも自白」になってしまうところに、「ジレンマ」があるのです。

参考:数理分析方法論(第4回)|早稲田大学

ビジネスにおける囚人のジレンマ―牛丼値下げ競争

ここまで、囚人のジレンマを理論的に学んできました。

実は、この囚人のジレンマ状況は現実社会の様々な場面に登場しています。もちろん、ビジネスの場面も例外ではありません。

その典型例に、「値下げ競争」の囚人のジレンマがあります。

「デフレの申し子」などというあだ名が付けられた牛丼チェーン店同士の激しい値下げ競争は、記憶に新しいのではないでしょうか。「すき家」「吉野家」「松屋」の大手3社がこぞって値下げ競争を繰り広げた結果、売上高は3社そろって下降していき、「勝者なき消耗戦」に終わりました。

参考:牛丼値下げ競争“勝者なき消耗戦”だった 客離れ対策に決め手なし – SankeiBiz

この値下げ競争を囚人のジレンマとして分析してみましょう。話を分かりやすくするために、いま牛丼チェーン店は「すき家」と「吉野家」の2つしかないと仮定しましょう。現状では、この世界に存在する100杯の牛丼需要を、それぞれのチェーン店が50杯ずつ獲得しています。

値下げ競争が起きるのは、商品の品質での差別化が難しい場合です。もちろん、すき家の牛丼と吉野家の牛丼は味が異なるわけですが、安価なファストフードの選択場面において、多くの消費者は味の違いよりも値段の違いを重視します。

品質管理論の文脈で言えば、牛丼の味は「当たり前品質」であり、差別化要因にならないということです。

参考:狩野モデルと商品企画:部門別スキル – 品質管理なら日本科学技術連盟

さらには、「生産量を自由に変えることができない」という性質も、値下げ競争を誘発します。

モノとしての牛丼それ自体は多少在庫できるので生産量を調整することができるかもしれませんが、「すき家」や「吉野家」の主力商品は「飲食」というサービスです。ランチタイムの飲食需要は有限ですし、店舗の規模以上に「飲食サービス」を生産することはできません。

昨日まで100店舗しかなかったのに「今日は牛丼特需だから1000店舗営業しよう」などということは不可能ですよね。また、「今日のスカスカだった50店舗分のサービスを在庫して、明日は150店舗にしよう」といったこともナンセンスです。サービスは在庫することができず、生産量を調整することが難しいのです(サービスの消滅性と言います)。

品質で差がつけられず、生産量も自由に調整できないので、価格で差をつけようということになります。

それぞれのチェーン店には「値下げしない」と「値下げする」の2つの選択肢が存在します。また話を単純にするために、片方だけが「値下げする」を選択した場合、100杯の牛丼需要を総取りできるとし、さらに牛丼の元の値段は400円で、100円の値下げの是非だけを検討していることにします。

すると、各チェーン店の売上金額の利得表は次のようになります。

吉野家:維持吉野家:値下げ
すき家:維持すき家:50杯x400円=20,000円
吉野家:50杯x400円=20,000円
すき家:0杯x400円=0円
吉野家:100杯x300円=30,000円
すき家:値下げすき家:100杯x300円=30,000円
吉野家:0杯x400円=0円
すき家:50杯x300円=15,000円
吉野家:50杯x300円=15,000円

利得表を見れば一目瞭然ですが、「もし自分は価格維持して相手が値下げ攻勢をしかけてきたら、自分だけが損してしまう」状況が成立しています。したがって、各チェーン店は両方とも「値下げ」戦略を採用するわけですが、これはもともとの「両チェーン店とも価格を維持する」を選択していた場合よりも売上が落ちています。

売上が落ちたお店は、何とか売上を回復させようとさらなる値下げ攻勢によるシェア拡大を狙いますが、相手も同じことを考えているので、結局は同じ「両方とも値下げ」を繰り返すことになり、どんどん苦しくなっていくのです。

このような企業間の価格競争に関する囚人のジレンマゲームは、経済学的には「ベルトラン競争」という名前がつけられ、理論化されています。

参考:ベルトラン競争とは|グロービス経営大学院

ここで「モノの値段が下がるのなら、消費者にとっては良いことなのでは?」と考えた方は、少し注意が必要です。

物価が下がるということは「労働サービスの値段」すなわち「賃金」も低下するということです。多くの人は純粋な消費者ではいられません。消費者であると同時に労働者・生産者です。つまり、「生活者」としての社会環境全体を考えた時、物価の低下を手放しで喜べる人は多くないでしょう。

また、企業の収益低下は経営の短期志向と投資意欲の減退を誘発しかねません。遠い将来を見据えた本格的な投資を行うことができないのであれば、新技術・新商品の開発が滞り、ひいては社会全体の停滞を招きます。

人は協力しあえるのか?―囚人のジレンマの克服

本稿では、囚人のジレンマの概要を紹介しました。さらに、現実社会の事例として牛丼値下げ競争を囚人のジレンマゲームとして解釈しました。

さて、囚人のジレンマ状況では「自分の利得の最大化を図ろうとして、人が裏切り合う」という結末に至ってしまいます。しかも、その裏切りの結果は、「人が協力しあえていれば得られたであろう利得」よりも小さくなってしまうわけです。

これは非常に厳しい理論的帰結ですが、実際にはどうでしょうか?

確かに、囚人のジレンマの示唆する裏切り合い状況は少なからず存在しますが、とはいえ協力しあいながら上手く機能している関係性も数多くあります。典型的には、「夫婦」や「親子」といった関係があげられるでしょう。もちろん、良い関係の「上司と部下」や「商店街のお店同士」だって実在しています。

つまり、私たちは囚人のジレンマ状況でも協力しあうことができる場合も存在するのです。

ゲーム理論の研究者や社会心理学者は、この囚人のジレンマ状況でも人々が協力しあうことができるのか、そしてそれはどんな条件で可能になるのか、について研究を蓄積して様々な回答を提出しています。

参考:行方(2001)『囚人のジレンマゲームにおける協調行動とプレイヤーの合理性』

囚人のジレンマをいかに克服するのかについて、記事を改めて探求していきましょう。

なお、この囚人のジレンマを多人数間のゲームに拡張した概念として「社会的ジレンマ」が存在ます。別の記事で紹介していますので、併せてご覧ください。

関連:北斗の拳で分かる!社会的ジレンマとは―現代人はモヒカンに勝利できるか?

参考文献

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