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アップル社やヒューレット・パッカード社でヒューマンインターフェース開発に従事したデザイン界の巨匠、D.A.ノーマン氏の書籍『誰のためのデザイン?』で語られた内容を軸に、ヒューマンエラーは、本当は人が引き起こしているのではなくシステムが誘発しているのではないか?という観点から本記事を執筆させていただきました。

組織運営をされている方、メンバーがミスを頻発することに悩む管理職の方、組織の雰囲気を良くしたい方におすすめしたい内容です。

ミスをした人を責めたところで解決しない

業務中、何度も同じようなミスをしてしまうことはありませんか?

それは些細なミスで、全体の業務に大きな影響はないかもしれません。けれどミスを重ねるうちに「あぁ、またやってしまった」と、うっかり者の自分に落胆することもあるのではないでしょうか。

「人間」が引き起こす失敗はヒューマンエラーと呼ばれ、多くの産業が「機械」化した現代社会において忌み嫌われています。

事業者側からすればミスをした人の「自分勝手な主観的臆測による」行動のせいでたびたび引き起こされるヒューマンエラー。

参考:ヒューマンファクター(人間の行動特性)とヒューマンエラー|(財)中小建設業特別教育協会

ミスをした人は、どうしてこんな間違いを犯したのか?と追及されることになります。

けれど日々起こる軽微なミスの原因なんて、理由がうまく説明できないことも多いものです。厚生労働省のサイトで

ヒューマンエラーであるかどうかは、「見間違えた」、「やり間違えた」、「やり忘れた」などのように過去形で表される出来事(事象ともいいます)であって、さらに結果が 好ましくない状態であるときに、後から言われるものです。

参考:ヒューマンエラー|厚生労働省 職場の安全サイト

と定義されているように、ヒューマンエラーは「後から言われるもの」であって、だいたいにおいてミスをした人を責めたところで仕方のないことなのです。

本当にそれは「ヒューマン」エラー?

ところで、ヒューマンエラーは本当に「ヒューマン」エラーなのでしょうか?

たとえばAさんは職場にあるコピー機で、印刷用紙のタテとヨコを間違える、というミスを繰り返しているとします。Aさんはミスをするたびに「あっまた紙入れる向き間違っちゃった」と慌てるわけですが、実はAさんの他に何人もそのコピー機で印刷方向を間違えるミスをしていたとしたら、どうでしょうか。

この職場では、自分が「ついうっかり」で印刷方向を間違い続けている、と各個人が思い込んでいます。けれど、職場でコピー機を使う人の多くが印刷方向を間違えているのだとしたら…操作する人というよりも、機械側に原因があると感じませんか?

わかりやすくするために、コピー機の印刷方向というなんとも大雑把な例を挙げましたが、実際にはもっと些細な形で、似たような例はそこら中に蔓延しています。

私たちが日ごろヒューマンエラーだと思い込んでいるものの多くが、「ヒューマン」エラーではなく「システム」エラーと言えるものなのです。

つまり「たいていのヒューマンエラーは、システムのデザインが悪い結果として起こる」のであって、「人にミスをしないことを強要する」よりも、システム側のデザインを「人がミスをしづらい」方向に持っていくほうが、根本的な問題解決となります。

そう、私たちに注意不足や能力不足を感じさせるミスの原因は、実はシステム(機械)側にあるのです。

機械の要求が優先されていませんか?

機械的に動ける人ほど評価される社会

人が行っていたタスク処理の多くを機械に託すことで、産業は大きな発展を遂げました。機械による正確なタスク処理能力は、航空機の離着陸間の自動操縦やサーモスタットの温度管理など、あらゆる分野に恩恵を与えています。

機械によって自動化すると多くの場合、人が同じ作業を行うのと同じか、より良い結果をもたらします。そのため、これまで人が行っていたあらゆるタスクが自動化されてきました。

タスクを自動化して、自動化して、自動化して…残った作業を人が行う、という逆転構造が生まれました。

機械が行うタスクの隙間を埋めるパーツとしての労働力。それが現在、多くの企業で求められている理想の社員像です。求められる素養は、機械のような正確さ、疲労などものともせず働き続ける気力。より効率的にタスクを回すことのできる人間が評価され、歓迎されます。

人間はマルチタスクに向いていない

忙しい日々を送っている現代人。ひとつの仕事に集中して取り組むことができる機会というのは稀で、複数のタスク(作業)を同時に、もしくは並行して切り替えながら処理することがほとんどだと思います。マルチタスクを上手にこなすことができる器用な人材は重宝されてきました。

マルチタスクとは元々、複数のタスクを同時並行して実行するコンピューターのシステムを指すIT用語です。元々機械に使われていたマルチタスクという単語が、人のスキルを指すようになったのです。

では、複数のタスクを同時に実行するマルチタスクをこなすことができれば、業務効率が上がるのでしょうか?マルチタスクという言葉が人に使われるようになった当初は、そう信じられていました。

けれど近年の研究では、マルチタスクはパフォーマンスの深刻な低下、エラーの増加、質と効率の日常的な不足を招くことが指摘されています。

カリフォルニア大学アーバイン校で情報科学を研究するグロリア・マーク教授は、インタビューで語ります。

「タスクを切り替えるたびに、脳は注意力を新たに設定し直さなくてはなりません」と話す。「そのようにして脳が心的資源(脳が情報処理のために使うパワー)を失えば、時間は浪費され、ストレスが生まれます。つまり、取り組んでいるタスクの質が低下するのです」

参考:デメリットだらけのマルチタスキングは、もうやめよう|BuzzFeed

さまざまなプログラムを簡単かつスムーズに切り替えられるコンピューター。人がこの機械のようなマルチタスクを処理する能力を身に着けたい、と思うのも無理はないのかもしれません。

けれど、人間は機械ではありません。構造も動力も、人と機械とでは何もかもが違います。同時に複数の方向へ意識を向ける必要のあるマルチタスクは、人間の認知能力に大きな負荷をかけます。

マルチタスクによって判断が鈍ることは「ながらスマホ」が原因となった事故件数の増加からもうかがえます。

平成30年中の携帯電話使用等に係る交通事故件数は、2,790件で過去5年間で約1.4倍に増加しており、カーナビ等を注視中の事故が多く発生しています。また、携帯電話使用等の場合には、使用なしと比較して死亡事故率が約2.1倍でした。

参考:やめよう!運転中のスマートフォン・携帯電話等使用|警察庁

人間は、同時に複数の対象へ注意を向ける必要のあるマルチタスクには、本来向いていないのです。

機械に従う人間

機械が行うタスクの隙間を埋めるパーツとしての労働力として、本来向いていないマルチタスクの能力を求められている現代の人たち。道具として使っていたはずの機械の都合に合わせて人間が配置されるいびつな現状に、ノーマン氏は

今日、機械の奇妙な要求に適応するために、人はいつも正確で詳細な情報を与えるという 異常な振舞いをしているのだと主張したい。

と警鐘を鳴らします。

我々の強みは、新しい問題に出会ったときに解決策を生む柔軟性と創造性にある。我々は 創造的かつ想像的なのであって、機械的で正確なのではない。機械は精度と正確さを必要とするが、人はそうではない。そして、我々はとくに精度高く正確に入力することは不得意である。それなのに、なぜいつもそうするよう要求されるのだろうか。なぜ、機械への要求が人へのそれよりも優先されるのだろうか。

おおかたの問題は「概算」することで片付けることができます。人は状況判断をする際、正確な数字がわからなくても、だいたいこのくらい、という数字を使って予測を立てることができます。

正確な情報を入力することは、実は人間側の要求ではなく機械側の要求です。機械は自律的な判断を下すことが苦手なので、人に正しい入力により指示をしてもらわないと、エラーを引き起こしてしまうからです。

人が責められるのはおかしい

本来向いていない仕事をさせられて、失敗すると責められる現状。ノーマンは、機械に合わせようとすると、人間の長所が仇になると言います。

人は創造的で、建設的で、探索的な存在である。独創性に優れ、何かをする新しい方法を 生み出し、新しい機会を見出すことに、とくに向いている。退屈で、反復的で、厳密な要 求には抗う特性を持つ。我々は環境の変化に対して機敏で、新しいことに気づき、その意 味合いについて考える。これらは長所ではあるが、機械に仕えさせられるときには負の特 徴となる。杓子定規な規定の型にはまったやり方から逸脱し、注意を怠ったとして罰せら れるのである。

本来は、機械に人が合わせるのではなく、人の特性に合わせて機械を配置するべきではないでしょうか。

機械と人にタスクの構成要素を振り分けるとき、人の強みや能力を活用しようとせずに、 遺伝的、生物学的に不向きなところに頼っている。それにもかかわらず、失敗したときに は、人が非難されるのである。

無闇やたらとタスクを機械に割り振った結果、機械のタスクの隙間で窮屈にしているとは、ある意味滑稽な姿です。

「機械は計算問題を解くのに焦点を当てるべきで、人はなぜその答えが必要なのか、などの高次の問題に集中すべき」なのです。

機械は万能ではない

蒸気機関車の発明から200年余りを経て、機械は人間の生活にすっかり行き渡りました。現在、人は生活の多くの要素を機械に委ねています。

人間よりも機械のほうが信用できる、なんて思う方もいるのではないでしょうか。機械の働きの忠実さ、正確さは折り紙付きですから。けれど、機械の能力を過信するのには、相応の危険が伴うことも知っておく必要があります。

機械は我々の行為の意図を究明するほど知的ではないし、たとえそうであっても、本来あ るべきよりもずっと知的でない。製品になにか不適切なことをしても、その行為がコマン ドとして形式に合っていれば、たとえそれがとんでもなく危険なことだったとしても実行 する。これが悲劇的な事故に繋がっている。

機械が順風満帆に動作しているうちは良いのです。けれど、機械の機能不全は何の予告もなしに、唐突に訪れます。予測不可能なトラブルに対し、柔軟な判断を下すことができるのは、人間なのです。

自動化が進んでいるからこそ、常に機械の操作状況を人が把握していないと、トラブル時の状況把握が遅れてしまいます。

機械は人に変わって退屈でつまらないルーチンタスクを正確にこなしてくれます。けれど、指示をあまり複雑にすると失敗します。機械は決して万能ではないのです。

人と機械は協調的に駆動すべきシステム

人と機械とは、互い違いのような特性を持っています。「人は柔軟で汎用性があり、創造的」なところに強みがあり、「機械は厳正で、正確で、操作に対して比較的固定的である」特徴を持ちます。

これら2つの特性は、互いの弱点を補い合うように作用することによって強化することができます。人と機械は、協調的に駆動することで最も良い結果を生み出すシステムとなります。

「人と機械が協調的なシステムであると考えずに、機械で自動化できるタスクは何でも機械 に割り当てて、残りを人にやらせるような場合に問題が生じ」ます。「結局は機械のように振る舞うよう要求することになる」ためです。

人と機械の協調…といって、モニターなどで人に機械を監視することを割り当てるのは本末転倒です。長時間警戒を怠らないように集中を保つのは、人の不得手なことだからです。

どうすれば人と機械とで協調的に駆動するシステムを形成することができるでしょうか。

必要なのは、適切なフィードバック

人間の能力と機械の要件とのミスマッチがある限り、エラーは避けられません。人と機械との持つ特性は、かけ離れたものであるという「事実を前提として考慮し、エラーの機会を最小限にし、またその影響を軽減させる」ことが最適解となります。

人と機械、もともと違う特性を持つものが組んで駆動しようとすれば、どこかで必ずエラーが起こります。人の特性に合わせたシステムを作るのであればなおのこと、エラーを通してシステム側の持つ問題を突き止める必要があります。

人とシステムとの間で起こったエラーをなるべく迅速に、かつ正確で質の良い状況報告を集めましょう。エラーから適切なフィードバックが得られるような体制を整えるのです。

失敗をヒューマンエラーと捉えると、失敗した人を責めることになります。人は責められることを恐れ、失敗を隠そうとするかもしれないし、報告も遅くなるかもしれません。

ヒューマンエラーと捉えるのではなく、システムエラーと捉えることで、エラーを受け入れましょう。人を罰したり叱責するのではなく、エラーを正直に、正しく報告したことを評価しましょう。

適正に集めたフィードバックは、エラーの根本的な原因を理解し、再び起こらないようにするにはどういった仕掛けをするべきか、という対処の糸口を見つける手がかりになります。

エラーが発見され、修正できる機会を最大化しましょう。何が起こり、現在システムがどういった状態なのかを知ることで、そのエラーに対する最適な対処法が見えてきます。

・行為を元に戻すことができるようにする(元に戻せない操作はやりにくくしておく)

・生じたエラーを発見しやすくする。また、それを訂正しやすくしておく。

・どのような行為もエラーとして扱わない。むしろ、人が正しく行為を完了できるように助ける。その行為を目的に近いものとして捉える。エラーの結果はあまり重大でないようにしておく

あらかじめ上記のような工夫をしておけば、エラーが起こってもあまり大きな問題にはならないでしょう。

本当の問題を問い直す

人はミスをします。元来マルチタスクに向いていない、という特性も要因としてありますが、原因は他にもあります。

人は機械と違って、常にさまざまな外的圧力を受けています。たとえば、ヒューマンエラーの主な原因は時間的ストレスであると言われます。

人が行うタスクはしょっちゅう中断せざるを得なくなります。

人は機械ではない。機械は頻繁に中断を受けることがないので、それに対処する必要はないが、人は何度も中断を受ける。その結果、我々はタスクの間を行ったり来たりして、以前のタスクに戻ったとき、元いた地点に戻って、何をしていたか、何を考えていたのかを思い出す必要がある。手順を飛ばしてしまったり、同じことを繰り返してしまったり、情報の記憶が不正確になったりしても不思議ではない。

人と機械とでは、そもそも置かれている状況から違っていて、機械が求める極端な精度と正確さで操作を繰り返すよう、人に対して要求するのは酷なことと言えます。

人間の知性は、高い柔軟性と適応力で持って、その時々の状況に対処するために道具や方法を編み出してきました。人は自らが作った道具によって人の限界を超え、進歩してきました。

分散認知という言葉があります。なにをするべきかなど高次な思考を巡らせるのは人へ、計算など正確性の求められる作業は機械へ。タスクを適材適所に振り分けるようにしましょう。

参考文献

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